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福島原発事故15年視察(4月26日)
いわき市~浪江町

 
 
奥の右が事故の福島第一原子力発電所(4㎞付近から撮影)
=26/04/26、大熊町・双葉町
 
 
法鏡寺境内の「ヒリシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ灯」。右が上野東照宮(東京都台東区)境内から移設した「広島・長崎の火」左が「「非核の火」=26/04/26、楢葉町  
 
宝鏡寺境内の未来館で早川美枝子さん(奥の左=故早川篤雄住職夫人)の講話を聞く=26/04/26、楢葉町  
 
休校中の福島県立富岡高校内のモニタリングポストの放射能線量値0.208μSv/h
=26/04/26、富岡町
 
 
浪江町立請戸小学校の給食・厨房室の津波被害。教室の椅子や机等は流された=26/04/26、浪江町・請戸小学校遺構  
 福島原発事故から15年たちました。そして、ウクライナのチェルノブイリ原発事故から40年目です。そのチェルノブイリ原発事故が起きた4月26日、いわき市、広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を視察するバスツァーがありました(主催:日本ユーラシア協会)。私は、原水爆禁止平和行進の北海道~東京コースの通し行進で、2001年と11年に福島県を歩いた経験と、ウクライナのチェルノブイリ原発事故30年のとき(2016年4月)現地視察したことから、福島の現状を知ろうと参加しました。
 参照 2001年平和行進・福島県
     2007年平和行進・福島県
     チェルノブイリ2016-04-26
 視察はJRいわき駅前から専用バスで出発し、途中下車しながら、①楢葉町の「Jヴィレッジ」、②楢葉町宝鏡寺境内の「ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマ伝言館」、③富岡町の「県立富岡高校」、④双葉町の「東日本震災・原子力災害伝承館」、⑤浪江町の「請戸小学校遺構」等を見学しました。
 その間、車窓から原発事故施設を遠目に見たり、放射線量値を車内測定や国道のモニタリングポスト(空間放射線量計)で見ました。
 最初に測定した「いわき駅改札口」は0.06μSv/h(マイクロシーベルト、以下同単位)でした。順次、Jヴィレッジ0.09、「富岡高校前0.18、宝鏡寺境内0.15、請戸小学校遺構0.15でした。車内の最高は、第一原発4㎞付近通過(国道6号)の0.72でした。国道6号のモニタリングポスト(空間放射線量計)は、大熊町で1.1、浪江町からの帰路が1.7~0.8ありました。自然界の放射線量値は、日本の平均は約0.04〜0.05といわれ、政府の除染対象放射線量は0.23です。現在、半径30㎞内の竹の子は食料禁止だそうです。
 事故の原発本体は、2、3号機の原子炉格納容器の真上にある蓋(シールプラグ)に合計7京(1兆の1万倍)ベクレル(放射線を放出する能力で1秒間当たりの単位)のセシウム137の付着や、1号機の原子炉を支える鉄筋がむき出しになっており、6強の地震で倒壊の恐れも指摘されています。そして、燃料デブリ880トンの取り出しの目処もついていません。
 「日本原子力学会」は、2051年までの廃炉完了は「現実的に困難」で、敷地が利用できるまで200年から300年かかると発表したほどです(2020年7月)。全体の避難者が、半永久的に戻れないことが良く分かりました。
 訪問した6町の事故前の総人口は69,541人(2011年3月11日)でしたが、現在は22%の15,457人(26年2月1日)に過ぎません。とくに双葉町は、事故前の7,140人に対し2.7%の193人で、復旧の問題にもなりません。
 復興の現状は、「創造的復興」名の下に公的大型施設(箱物)や工場、ショッピングセンター等の建設と合わせ、作業員用アパート等が目立ち、本来の農業や漁業の復興より、惨事便乗型の産業復興の様相でした。東電の法的責任は曖昧にされ、国は180度舵を切り、原発推進に躍起です。
 原発産業は、長期間に渡る大資企業(家)の莫大な利益となる経済的・政治的な仕組みが作られ、原発が無公害・安価で、「原発マネー」が立地地域を豊かになると言う騙しの「神話」が、よく分かりました。原発の誘致・建造は、住民が望む、安心・安心で平穏・豊かな生活とは、全く無縁なのです。

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